実存と仕事の分離

 正直なところ、僕は将来像を描けるほどの自己を維持することができなくなっている。「宿命論」を受け入れて「未来」について考えることを放棄している気がしないでもない。それが、イマの僕にとっての現実なのだ。だからといって、労働者としての理想像を描くことを放棄してしまうことは、単に怠惰なだけかもしれない。労働者とは、僕という人間が労働社会と価値交換を行うための仮想人格に過ぎないのだから。