何も起こらない日常とこれからの自分について

 不安が欠如しているような気がしてならない。僕は不安駆動型の人間で、それは変えていかなくちゃいけないものだと思ってきた。けど、本当にそうなんだろうか。いま、とても疑問に思っている。
 ここ半年ほど、僕は酷くつまらない日常を生きてきた。薬の服用量を増やし、仕事のレベルを下げた。その結果、不安は減った。だけど、というか当然の帰結として、僕の不安駆動エンジンは、その稼働率を下げ、活動は徐々に鈍ってきた。外出することも少なくなり、休日を一日中布団の中で過ごすことが多くなった。精神の沈黙。
 酷くつまらない人間になっていくような気がしてならない。不安の無い現状を不安に感じるべきなのに、そんな感情すら欠如している。生ぬるい日常に沈んでいく精神。そんな状態をあっさりと受け入れてしまいそうな自分が少し怖い。
 必要なのは、適度な不安を組み込むことだろうか。そんなことを思っていながら、心療内科に通院するために、レキソタンを2錠服用した。そして、これを書いている今も、マイスリーロヒプノールデパスを飲んでいるのだ。まったく、どうにかしている。
 たった一つの事実。それは、僕がイマ、ここに生きているということ。最初で最後の人生を。