ターニングポイント

『THE BIG ISSUE JAPAN』74号
リレーインタビュー連載第41回 姜 尚中

 自分の力ではどうにもならないこと、不可抗力な出来事が起こった時、人はもがきながらもそれを受け入れ、何とかしてそれを乗りこえようとする――その結果、人は変化し、成長していく。私たちはそれを“ターニングポイント”と読んでいるのだと思います。
 ところが最近、不可抗力な出来事を回避しようとする人が増えている。だから“ターニングポイント”と呼べるような出来事にも遭遇しない。既知数を増やし、未知数を少なくすることが快適につながると信じているんですね。
 親は子供の将来の確実性を高めるため、いい学校、いい会社に入れようと必死になる。就職しない若者は、自分の決断を不決定のまま先延ばしにすることで、自分の限界や無力さを知ることから逃れようとする。
 確かに今の時代、私が学生だった頃に比べ、圧倒的に豊かで情報も無数にあるから、不確実なものや不可抗力なもを避けて生きられる、自分もまわりも全てコントロールできる・・・・・・そんな全能感を持っている人もいるでしょう。でも、実際の人間は自分の身体すらうまくコントロールできない脆弱な存在なのです。まして他者や社会をコントロールできるなんて幻想にすぎません。
 私が生まれた時代には、不確実なことや、自分の力ではどうにもならない不可抗力なことがいっぱいあった。
 私は熊本の韓国・朝鮮人集落で在日二世として生まれました。人は父母や生まれを選ぶことができない――そういう意味では、生まれたこと自体が“ターニングポイント”といえるかもしれません。
 当時は“在日”というだけで差別され、まともな就職口などない時代。大学時代をともに過ごした在日の仲間たちは、厳しい現実に逡巡しながらも仕事に就いていきました。でも、私は結論を先延ばしにし、大学院に行くことにした。そういう意味では、決断を先延ばしにする今の若者達を責められないかもしれませんね。
 将来のことがまるで分からない、不確実な状況の中で10年を過ごしました。ドイツへの留学を経て、ようやく就職が決まったのは31歳の時。先が見えず、不安に襲われたとき、私の支えになったのは、旧約聖書の「伝道の書」にある言葉でした。
 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
 生まれる時、死ぬ時・・・・・・
 泣く時、笑う時・・・・・・
 嘆く時、踊る時・・・・・・
 求める時、失う時・・・・・・
 戦いの時、平和の時・・・・・・
この言葉のように、人生には“時”があるのだから、焦ることはないと自分を励ましました。
 もう一つ、私の人生の支えになったのは、人との出会いだと思います。人は出会った人によってつくられるといっても過言ではありません。父母、伴侶、恩師、とりわけ友達との出会いは人生に欠かせないものです。ある時代、ある場所で、あるきっかけで出会った友達。人との出会い、友達との出会いも偶然の積み重ねだと思うんです。
 それは友達は大切ですから、たくさんつくりましょうとかそういう単純なことではないけれど、一つだけ確かなのはできるだけボーダーはつくらないほうがいいということ。ボーダーをこえるということは、無駄なことにも足を踏み入れ、不確実なものと出会うことでもある。そうすればそこから新しい自分を見出すこともあるのです。
 まずは自分という存在を未来に投げ出してみる。投げ出すということは、投げやりになるということではありません。
 例えば、最近の若い人は、初めから“転職”にめぐり合おうとするけれど。仕事なんて実際にやってみなければ分からないでしょう。生きていくために仕方なく働き始めたところから、仕事のおもしろさに目覚めることだってある。不確実さや不可抗力なものにこそ、“ターニングポイント”の種が潜んでいると思うんです。
 すべての人に平等に死が訪れるように、誰の人生にでも自分の力ではどうしようもならない不可抗力なことは起こりうる。大切なのは、それを受け入れ、自ら決断し、人生の“ターニングポイント”としていける力を養うことだと私は信じています。