Raele's Healing Garden 〜ただ誰かが存在すること〜

深森らえるさんのWebSiteていとあていとのひょうし
ラジオ(ch1 Raele's Healing Garden8月まえはんぶん)
 僕の投稿したメールに対するらえるさんの言葉

★僕のメール

人は何で社会と繋がっているのでしょうか

それを関係性と呼ぶのでしょうか

私は社会と繋がっているでしょうか

社会から切り離されたとき、・・・いや、関係性の非存在の真実に気付いたとき

糸の切れた凧のように、私は世界へ還っていくのでしょうか

私が還る世界はあるのでしょうか

そうではないですね

私が消えたとき、世界も消えるのですから

世界の終わりと私の終わりは等価なのですね


★らえるさんの言葉(間違ってるかもしれません)

うーん 社会から 切り離されたとき ね

うーん なんか 自分が社会と繋がっているかどうかっていうか 自分が何かと繋がっているかどうかが 不安になるときって ありますよね

私はね なんかね すごい 仲良くしたり 友達とも なんかこう 繋がってるはずなのに 一人になることがあるの 

こう 「そんなことないよ 繋がってるじゃん」って絶対 こう 私がなんか「めー」って言ったら 返ってくるのが分かってても 
「そういう問題じゃないんだよ」みたいな心境になっちゃうことってない? 

なんか すごい言ってみれば そんなこと言ったって ご飯があるのは何々のおかげで とか 人と人とが生きてるおかげで って言っても 
「そういうのは なんか分かるけど でも 一人だっていう気持ちが おさまらないのよ」 みたいな

でね なにを言われたって 私ね 人って一人だって思ってるの 
なんていうか 『個体』って 存在してるじゃない


伝わるかな?


宿命的に 一人で生まれちゃった以上 一人だと思ってるのね
たまに 手をつなげたり つながりを感じることがあるかもしれないけども
でも 一人だと思った瞬間に ホントに一人なんだよ って思うの


っでそうすると すごいなんか 寂しく思えるかもしれないけど 
だから繋がりましょうとか そういうことでもなくね 
なんか 一人のときは もう 一人になってる その感覚を持っちゃて いいと思うんだよ 


なんでかっていうと その一人の感覚を持ってる人が 別のところにもいて 別のところにもいるっていうのが
なんかこう バラバラだけども 少なくとも 同じ灯りがある って思えるのよね


だから 別にね 同じ想いをしてるからって 繋がれるわけじゃないけれども 
あっ あそこにも『蒼い光』の人がいる
『蒼い光』って 私はそいいう なんかこう ちょっと 私一人ぼっちだ とか 
例えば もっと言っちゃえば なんかもうやめちゃいたいな
もっと強い思いだと 消えちゃいたいな っていうような気持ちとか 


でも なんか それがね だれかも持ってる 
だれかも持ってる っていうのは 向こうの方に灯りがあるだけで
なんかね そういう気持ちが分かる人たちが こう なんだろう 勢力を広げるじゃないけど
少なくとも なんかいっぱいいる っていうことだけで なんか なんだろうなぁ
だから繋がれるわけじゃないから やっぱり一人なんだけども なんか ほっとするものではあると思うの


で、元気なときにはね なんか ぱーって 明るい考えで うわーっていて そこでうわーって盛り上がって繋がるのもいいけど
一人になってるときには 一人一人が ぽつんぽつんと 自分の『蒼い光』を灯して いるだけで なんか いいとおもうのね


もしも S24さんがね 消えちゃったら その『蒼い光』を持ってる人が一人消えちゃうわけじゃないですか
で、そうすると 私は『蒼い光』を こうやって見渡したときに 一つ失ってしまうことになるので
なんかこう 暗い方 というか 重い方の私としては 『蒼い光』が消えてしまうことは逆に寂しいことなんですよ


だから なんだろう 還る世界は 還る世界っていうか もしかしたら繋がってないかもしれないけど
みんなバラバラで でも灯ってても それはそれで 
とか 思ったりした


なんだろう、確かに自分の視点からすると等価
なんだけども、こう 世界をつくってる 世界を見てるのはあなただから 見るっていう観点からしたら それは終わりになっちゃうんだけれども
つくるっていう観点からしたら みんなで作ってるから それは絶対 等価たりえないよね


とか思ったりしつつ


「繋がる」とか「連帯する」とか、そんな強いものじゃなくて
ただ「誰かが存在していること」によって感じられる安心感
っていうのかな
そういうものって、とっても重要だって思うんですよね