社会に参入する為のエネルギーについて

 朝起きて、就職することについて考え始めていた。先週、主治医の前で12月には働きたい、と語ったことがきっかけだろう。そう語ってしまったのだから、意識してしまうことは仕方ない。正直、就職のことを考えると不安になる。もう一度、努力する主体になることができるのだろうか。頑張れるのかな、って。臆病になっているだけかもしれない。
 そんな不安の中で、一冊の本の存在を思い出した。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。大学3年生の時に教養科目の歴史の講義を受講した際に、先生に進められて読んだ本。あれから、もう7年ぶりぐらいだろうか。ダンボールの奥から発掘して、懐かしく読み始めている。
 どうして、この本のことを思い出したかっていうと、「プロ倫」についての僕の記憶が、いまの僕の状態と重なるような気がしたからだった。プロ倫は、非合理的な宗教的倫理が資本主義を駆動するため要因となったこと。そして、一度駆動し始めた資本主義はトリガーとなった宗教的倫理性を不要として自己回転しはじめたことをテーゼとして提示していた気がしていた。それは、坂道の上から石を転がすようなものだ。石を転がす為には何らかの力が必要だけど、一度転がり始めた石は自らの力で回転していく。最初に加えた力とはまったく別の力で。
 初めて就職してから6年ほど、僕は転がり続ける石のような存在であった。だけど、僕は今、完全に停止してしまっている。遠からず、僕は資本主義社会に参入するだろう。なんとなくだけど、社会に参入する為に必要な力と、仕事を続ける為に必要な力は別のような気がしている。それこそ、就職という最初の一歩を踏み出す為には、宗教的倫理性みたいなものを基礎とするようなモードが必要なのかもしれない、ってことを「プロ倫」に関する個人的記憶に重ね合わせていた。
 そんな訳で、いまこの本を読み始めている。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)