人間のために神があるのではなく、神のために人間が存在するのであって、あらゆる出来事は―したがって、人々のうちの小部分だけが救いの祝福に召されている、というカルヴァンにとって疑問の余地のない事実もまた―ひたすらいと高き神の自己栄誉の手段として意味をもつにすぎない。地上の「正義」という尺度をもって神の至高の導きを推し量ろうとすることは無意味であるとともに、神の至高性を侵すことになる。
 マックス・ウェーバー 1920 DIE PROTESTANTISCHE ETHIK UND DER>>GEIST<

 神が存在するか否か、私には分からない。しかしながら、仮に神が存在したとしても、私のような人間が、神の存在を確認することなど、出来はしないだろう。感じることが出来るような存在など 私にとっては、神でもなんでもない。 
 私は、祈りによって救いを与える神など望まない。ただ神は神であり、私は私なのだから。