当事者

 しかし、繰り返し述べているように、「<当事者>だから分かりあえる」というわけではないし、もとより不登校を経験した人のひとりひとりが「同じように<当事者>」であるわけでもないから、「純粋な<当事者>」を設定し、そこからの距離に応じて「どのくらい<当事者>らしいか」という「<当事者>としての真正性の度合い」を測ることの意味は薄い。それよりも、被調査者ひとりひとりと向き合う個別の関係のなかで浮き彫りにされる自分の位置を見定め、引き受けることで、そのつど変化する自分の<当事者>性を示すことこそ重要であろう。


貴戸理恵 2004『不登校は終わらない』新曜社 36頁
※太字は引用者による