流動性

社会が流動的で、それに耐えられないでいる。本当に、社会の流動性が増しているのかどうかは分からない。ただ、そういう風に変化していく社会を必然だと感じ、それに耐えうる力を身に着ける必要があること。そんな意識が内面化されているのは事実だ。


本当の意味で自立する為には、経済的な部分と自己尊厳(アイデンティティ)に関する部分の両方が必要なんだと思う。そして、それらを切り分けて、別の場所で確立することが必要なんじゃないかな。経済が過剰な流動性に晒されようとも、自己尊厳をきちんと確保できるコミュニティにコミットできているならば、生きていける気がする。社会的包摂という機能を、僕はそういう意味で期待したいし、必要なんだと思う。自己尊厳が確保されてこそ、人は希望を持つことが出来るのだと思うし、その段階を踏んでこそ、経済的な自立へと踏み出せると思うから。
「希望」というのは曖昧な言葉だけど、ここでは、「生きることへの意志」といった程度の「生きること」を支える最低限の何かのこと。


とは思いつつも、結局、顔の見えるローカルなコミュニティからはじめる(やり直す)べきなのだろうか。ひきこもりやニートの一部の実践とは、そういうもに見えるけど...