エートス

 勤労とか節約とか、そういう個々の特性ならばなにもピュウリタニズムだけだはなく、どこにでも見られる。日本の二宮尊徳の思想にだって立派にあるではありませんか。そうした徳性がただちにウェーバーのいう「資本主義の精神」ではないのです。そうではなくて、そうした個々のさまざまな徳性を一つの統一した行動のシステムにまでまとめ上げているようなエートス、倫理的雰囲気、あるいは思想的雰囲気、そうしたエートスこそが「資本主義の精神」なのであって、これこそが非常に重要なのだとウェーバーは言うのです。<中略>


 ―「エートス」は単なる規範としての倫理ではない。宗教的倫理であれ、あるいは単なる世俗的な伝統主義の倫理であれ、そうした倫理的綱領とか倫理的徳目とかいう倫理規範ではなくて、そういうものが歴史の流れのなかでいつしか人間の血となり肉となってしまった、いわば社会の倫理的雰囲気とでもいうべきものなのです。そうした場合、その担い手である個々人は、なにかのことがらに出会うと条件反射的にすぐその命じる方向に向かって行動する。つまり、そのようになってしまったいわば社会心理でもあるのです。主観的な倫理とはもちろん無関係ではないけれども、もう客観的な社会心理となってしまっている。そういうものが「エートス」だ、と考えてよいのではないかと思います。


マックス・ウェーバー 1920  DIE PROTESTANTISCHE ETHIK UND DER>>GEIST<